78年前の3月10日。墨田区を含む下町一帯は焼け野原になりました。
実際に見たわけではありませんし、想像すらつきません。ですから、「焼け野原になったそうです。」の表現が正しいかもしれません。
写真は、空襲で焼けてしまった曾祖父母の診療室です。
歯科医師免許と卒業写真1枚を持って火から逃げたと伝え聞いています。
息子2人を戦争で亡くした曾祖父母の記録を見て、
夜は安心して眠りにつくことができ、お腹が満たされるまで食事できる、
“今”に生きられることを、
亡くなった方への祈りとともに、時代への幸運と感謝を感じずにはいられません。
僅かに残る資料や写真は、大切に保管して、後の人に伝えていきたいと思います。
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本日午前は休診にさせていただき、こどもの通う小学校の調理実習補助に行ってきました。
役割分担をし、協力して一つの料理を作る様子を見ることができ、とても楽しかったです。
おいしくなーれ♪おいしくなーれ♪と合わせてかけごえをするのが聞こえたり、
それは危ないよ、とか、こうした方がいいんじゃない?などと意見を交換しながら調理をスムーズに進行させようとする様子が垣間見れたり、
和やかで真剣なこどもたちの調理実習でした。
私が子どもの頃は、どちらかというとまだ、料理は女がするもの。という風潮が残っていたように思います。家庭科の授業はもちろん男女共修でしたが、女子”も”技術を履修するし、男子”も”調理や裁縫を履修する。というようなイメージでした。
今のこどもたちの様子をみていると、男”も”料理をするもの。と表現することすら、ナンセンスであるということを実感します。
文章の前に、性別+だから や だけど はなく、
家族や友だちと食卓を共にしたい。
家族や友だちにおいしい食事を用意してあげたい。
ただ、それだけのことのように見えました。
こどもたちと、お手伝いにきた保護者たちと一緒に作り、いただいたお料理はとてもおいしかったです。
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午後からは診療をし、いつもより少し長い1日でしたので、夕食はこどもと外食にしました。
わが子のお気に入りのトンカツ屋さんに行き、いつものように、付け添えで出てくるすり鉢で私の分のすりごまソースを作ってくれ、それをつけておいしくいただきました。
途中からわが子が、隣りの席をキョロキョロ見るようになったので、どうしたのか聞くと、
「隣りの人たち、ソースの作り方がわからないみたい」
と言いました。
海外からのお客様のようでした。
すり鉢やごま、ソース等は手付けずで、少し困りながら、出てきたままトンカツを召し上がっているようでした。
「ママ、おいしいたべかたを教えてあげてほしいの。」
とわが子がいうので、
お声がけして、
もしよろしければなのですが…で始まる英語とジェスチャーで、そのお店のおすすめのトンカツソースの作り方と食べ方をお伝えしました。
すると、その方たちのお顔がパッと明るくなり、おいしそうに召し上がったあと、何度も何度もお礼を言ってくださいました。
その様子をみたわが子は、さらに嬉しそうな顔で、
「ママよかったね、ありがとう。」
といいました。
そのとき、私が英語に興味をもったきっかけを、ふと思い出しました。
中学1年生の頃、親に連れられ初めて行った海外旅行で、忘れ物を見つけたのにそこにいる人に声をかけることすらできなかった、ということがありました。
目の前にいるのに、目の前の人に何もできなかった自分に愕然とし、「意思の疎通ができる言葉と、行動できる気持ちを身に付けたい。」と強く思ったのです。
わが子の成長につれ、行動や言動が自分の子どものときのそれと似ていることにドキッとすることがあります。
いろいろなことを思う、長い1日でした。
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性別や出身、目や肌の色で隔てることなく、平和の中で食卓を囲める世の中がずっと続いていきますように。誰もが自分らしく、安全に快適に食事ができる喜びを感じることができますように。